苦労・努力・改革を強いる人は自分が楽したいだけの無能である真実。

軽々しく「苦労しろ!!」とか「努力しろ!!」とか「改革しろ!!」と喚いている人が、日本社会には実に多いことを痛感します。人治国家ならぬ、人治企業の国という実態を現わしております。
これは、相手が間違っているからではなく、自分の思い通りにならないことに腹を立てて他人に矛先を向けているに過ぎません。そんなことを放言する人に限って、本当に苦労したり努力したり改革した例がありません。小生も、人生の中で前述の事を軽々しく放言して、まともだった人は聞いたこともないし見たこともありません。ましてや、会った例すらありません。それが、現実なのです。
それが証拠に、彼らに「それなら、あなたはどんな苦労・努力・改革をしましたか?」と聞いてみると、全くろくなことが返ってきません。中身が薄すぎて聞いててバカバカしくなるし、聞き飽きた余りにあくびが出ますよ。本当にウンザリしてきます。
では、なぜそんな事しか言えないのでしょうか? そうなるのは当然の理由があります。
結局のところ、「苦労しろ!!」とか「努力しろ!!」とか「改革しろ!!」と軽々言う人は、誰一人例外なく、他人の苦労・努力・改革を踏みにじって足蹴りにして粉微塵にしている分際で、出来レースで労せずして勝ち誇って鼻を高くしているに過ぎないからです。これでは、まともな答えが全く得られないのは至極当たり前と言って過言ではありません。いくら取り繕っても、日頃の言動から醜態がにじみ出ております。まさか、分からないだろうと思っているのではないでしょうね。相手は言わないものの、本心では醒め切った見方をしています。まあ、己の無能ぶりを棚に上げて、得意げになって言い放っているのでしょう。それも、本人は自ら無能であることの認識・自覚が無いことに。
ここで勘違いして欲しくないのは、本当に努力している方々に対して言っているわけではないということです。何故なら、本当に努力している方々は口が裂けても体が裂けても前述のことを軽々と言ったり思ったりすることは絶対に出来ないし、それ以前にしないのです。

これは、「思っている」とか「感じている」とかいう生易しく甘ったるい事ではありません。断言しても言い過ぎない、むしろ言い足りない程の事なのです。これこそが「事実」であり「現実」であり「真実」「真理」なのです。良いとか悪いとかの問題ではなく、これ以外に語りようが無く、疑う余地の全く無い「黄金則」に他ならないのです。