「分かった」と表面的で生半可な返事で逃げようとする現代日本人たちの事実。

最近は、要求や欲望がかつてないほどに大きくなり高度になって、応える方の負担も大きくなっている事でしょう。当然ながら、思った結果が返って来なくてクレームに発展することも日常茶飯事です。
そういった中で、「分かった」と言いながら本当に分かって返事をしているのか疑いたくなるケースが後を絶ちません。その後にどうなったかと言うと、改善するどころか変わっていないか悪化していたという結果が返ってきて、本当に分かっていたのか、と問いたくなる事もよくある事です。
ここで「分かった」と言うのは、「理解した」と言うよりは「もういいから」と話を切るための口実に過ぎないと言って良いでしょう。何故なら、「分かった」と言われて「では、何が分かったのか」と聞き返すと、大抵は答えられないか見当外れな答えが返ってくるからです。まさに、もう聞きたくないから早く終わらせたい為に「分かった」と言っているとしか考えていません。つまり、お互いの納得する内容に詰めることを投げ捨てて、自己保身に執着した結果、そのような対応をするのです。これも、日本人が対立した時に不毛の泥沼に陥ることからして、当然の事と言えます。
日本人は、内容をしっかりと理解しないままに、表面的な事だけで判断する事が多く、早合点をしてトラブルに発展するわけです。その結果、正しく理解しないままに物事が進んで、問題やクレームが噴出するという状況になるのです。
本来であるなら、自分の言いたいことを少しわきに置いて、相手の気持ちを聴いてあげること、それに対してお互いの最善が何かを提案して議論を重ねることが、大事ではないでしょうか。それをしないままで、「分かった」と言って一方的に押し切って、良くなる等あろう筈がありません。それほどまでに、理解の薄い現代日本人があまりにも多くて、生きづらさを一層深刻にしています。

これは、「思っている」とか「感じている」とかいう生易しく甘ったるい事ではありません。断言しても言い過ぎない、むしろ言い足りない程の事なのです。これこそが「事実」であり「現実」であり「真実」「真理」なのです。良いとか悪いとかの問題ではなく、これ以外に語りようが無く、疑う余地の全く無い「黄金則」に他ならないのです。